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ヘルトフルト家の悲劇(メイドVer.)

比率 1:2:0

台本を使う前に【利用上のルール】をお読みください。

​ 夫人・カルミラ(♀)
 メイド・ヴァネサ(♀)
 刑事・ダニエル(♂)

 


夫人M ある日、目が覚めたときに愛する夫が隣で斬殺されていたらどんな反応になると思いますか?
    目を見開き猿轡(さるぐつわ)を噛まされ、
    心臓に向かって包丁が墓標のように突き立てられているのです。
    悲鳴をサイレンのように轟かせると考えたのであれば、それは違います。
    言葉を失い、力なくベッドから崩れ落ちるのです。
    その拍子にサイドテーブルの上に置かれていたランプをひっくり返し、
    派手に割れる音で周囲に伝えるのがやっとなんですよ──

◇寝室

メイド 奥様、どうなされたのですか? ──これは。

夫人 朝起きたら、主人が……

メイド ふらついているじゃありませんか。それに床にはガラスの破片が散らばっていて危のうございます。
    すぐにスリッパをお持ちしますので、そのまま動かないでください。

夫人 無理よ、夫のこんな姿の隣で待っているなんで、耐えられないわ。

​メイド 仕方ありません。私が履いているもので申し訳ありませんが、こちらをお使いください。
   お辛いでしょうが、現場をあれこれ弄ってしまうと、捜査に支障をきたしてしまいます。
   このままゆっくりと、リビングへ。

夫人 え、ええ……少し支えていただけるかしら。
   真っすぐ歩きたくても、ふらついてしまって。

メイド 畏まりました。私でよければいくらでもお支え致します。

夫人 ありがとう。

◇リビング

メイド こちらにお掛けください。すぐに水をお持ちします。

夫人 助かります。そうだわ、警察に連絡をしないと。

メイド 私がやりますので、カルミラ様はお水を飲んで落ち着かれた方がよろしいかと。

夫人 え、ええ。ありがとう、ヴァネサ。

夫人M しばらくすると、サイレンの音が響きわたり周囲は騒然としました。
    刑事さんや鑑識の箱を持った人たちが家に押し寄せ、
    落ち着きかけていた私の心を不安へと駆り立てるのですが、動くことはできませんでした。
    代わりにメイドであるヴァネサが刑事たちに同行し、立ち会って何かを話しているようです。
    小一時間経った頃でしょうか、
    現場検証が終わったのか、一人の刑事がヴァネサと共に私に近づいてきました。

刑事 自分は刑事のダニエルと言います。
   今回被害に遭われたのはご主人のアンドレイさんでお間違いありませんか?

夫人 はい。

刑事 当時の状況をご説明願います。

メイド ちょっと! 奥様は憔悴(しょうすい)しきっています!
    何も、今でなくてもよいのではないでしょうか。

刑事 はぁ……ですが、記憶が鮮明なうちに聞いておかないと。
   時間と共に記憶は曖昧になってしまいます。それでは、捜査も難航しがちなもので。

メイド そうかもしれないですが。

夫人 ──朝起きたら、夫があのような姿で……

   それ以外になんて説明したらいいのか。

刑事 昨晩は一緒に布団に入られましたか?

夫人 はい。二人でワインを少し口にした後、一緒に寝室へ。
   夫はそこまで眠くなかったのか、横になりながら本を読んでいたのですが、
   私はお酒が強くないので酔っぱらってしまい、すぐに寝入ってしまいました。

刑事 このような書き置きが現場にありましたが、何か心当たりは?

夫人 どのようなことが書かれていたのですか?

刑事 復讐のような文言ですね。
   失礼ですが、ご主人は誰かの怨みを買っているということはありませんか?

夫人 先代から続く事業を大きくしているのです。
   その過程で恨まれてしまうようなことも多々あったと思います。
   ただ、私には携わらせてもらえなかったので、詳しいことは……

刑事 そうですか。
   昨晩、寝る前にご主人は何か仰っていませんでしたか?

夫人 そういえば……紙切れがどうのこうのと言っていた気はしますが、
   かなり眠たかったので、内容までは憶えていません。

刑事 わかりました。
   こちらで原本を保管しておきますが、コピーをお渡ししますので、
   何か思い出したことがあれば、我々にお知らせください。

夫人 はい。

刑事 では、本日のところはこれで失礼します。
   現場を保存するためにも、勝手は悪いでしょうが今夜からは別のところでお休みください。


夫人M そう言うと、刑事さんたちは水が引いていくかのように家から去っていきました。



メイド 奥様。

夫人 大丈夫と言いたいところだけど、さすがにショックが大きいわ。
   ごめんなさい、少し独りにしてくれないかしら。

メイド しかし。

夫人 安心して。後を追って死ぬような真似はしないわ。

メイド ──畏まりました。

​◇

夫人M 翌日から、私は夫が行っていた事業を継続させるために、
    ナンバーツーを臨時の社長に据えることを伝えました。
    帰宅すると、昨日の刑事から例のコピーを預かったとヴァネサから告げられます。

メイド 奥様、そんなに無理をなさらなくても。

夫人 そうはいっても、1日だって責任者に空白があると事業は滞ってしまう。
   よく主人が言っていました。

メイド そうかもしれませんが……

夫人 ところで、その紙にはなんて書かれているのかしら。

メイド お読みになるのですか?

夫人 ええ。知っておかなければならないと思うから。

メイド こちらです。

夫人M『冠省 先日のお問合せにつき、未だ回答をいただいておりません。
    そして、貴殿らの私たちに対するこれまでのことを一日たりとも忘れたことはありません。
    争うことは本意ではなく、話し合いに応じる余地はあるのですが、
    信義誠実な対応をいただけないようでしたら、
    遺憾ながら、こちらとしては少なくとも検察に提出をすることを検討しています。
    また、司法を介さず強硬手段に出る虞(おそれ)もあることを付記いたします,,』

 

夫人 これでは、差出人が誰なのか特定することは難しいわね。

メイド はい、残念ながら。
    パソコンで書かれているので、筆跡鑑定をすることもできません。
    指紋については警察が調べたところによると残ってはいなかったようで。

夫人 内容的には先日主人が頭を抱えていたオドラニエルさんのことのようにも思えるけど。

メイド ああ、夜中に怒鳴り込んでいらっしゃった方ですね。

夫人 主人は私を奥の方に促して、応接室で対応をしていたようだけど……

メイド 私も応接室から締め出されてしまい、中の様子を窺(うかが)い知ることはできませんでした。

夫人 程なくしてお帰りになったようだけど。

メイド 表情まではわかりませんでしたね。

夫人 考え込んでいても仕方ないわ。
   主人が生き返ってくれることはないもの。じっくりと思い出すことにする。

メイド 奥様……よもや復讐を……

夫人 そこまで馬鹿ではないわ。
   許されるのであればそうしたいけれど、事業のこともある。
   社長は暫定でしかないわけだし、従業員を路頭に迷わせるわけにもいかないもの。
   すべてが落ち着いてから、ゆっくり悲しむことにするわ。

​メイド ……。


刑事M 捜査は難航した。
    手がかりとなりそうなものは例の文書のみで、寝室の指紋を採取しても
    死んだアンドレイ、夫人のカルミラ、メイドのヴァネサのみだった。
    玄関や応接室などからは、複数の第三者の指紋が検出されているが、
    データベースに登録されているものはほとんどなく、
    仮にあったとしても事件当時のアリバイは完璧。
    従業員の証言から、トラブルがあったと思われる取引先の人物をあたろうにも、
    証拠もないのに指紋をとらせてくれと強制することも難しい。
    任意の事情聴取に応じてくれる人は滅多にいない。
    唯一といってもいい例の文書からは何も検出されず、筆跡鑑定は不可。
    文章を校正したときの鉛筆の跡と思われるアンダーラインなどはあるものの、
    これだけで個人を特定することなど無理な話だった。

メイドM 事件発生から2週間が過ぎようとしていた。
     奥様の手腕は見事なもので、この短期間に事業の引継ぎを完璧に指示し終えていた。
    しかし、状況が何も進展しないことに私は苛立ちを覚える。
    そして……

夫人M 寝室に入ると、枕元に1通のメモがあることに気づきました。
    そして、気が付けば私はリビングに駆け出していたのです。

夫人 ヴァネサ! あっ!

メイド これはこれは奥様。血相を変えてどうされたのですか?

夫人 貴方だったのね!

メイド あーはっはっはっは! 漸(ようや)くお気づきになられたんですね。
    さすがにあのメモを見てもわからなかったらどうしようかと思っていたところですよ。

※以下、途中までメイドは狂っているので、適宜高笑い等アドリブ入れてください

夫人 文末の句読点でしょ!

メイド そう! 今回のメモは簡素に書いてありますが、
    しっかりと最後を句点「。」ではなくカンマ2回「,,」にしておきましたからねぇ。
    この家に仕えてからの私の癖なのに、あいつが死んだときの紙切れ見ても気づかないなんて
    なんと愚かなお人だ。

夫人 ぐっ……

メイド 慌てて駆けてくるとは思っていたのですが、予想以上に綺麗に拘束できていますねぇ。
    奥様のお身体。

夫人 どうしてこんなことをするの! 主人が、私が貴方に何をしたっていうのよ!

メイド くく…本当に何も知らないんですね。困ったお人。

夫人 どういうこと?

メイド 貴女の旦那のお父様はね、私の家族を死に追いやったんですよ。

夫人 ……。

メイド おっと、そんな怖い目をしないでいただきたいですね。
    ご存知ではないかもしれませんが、父も商売人でした。
    しかし、あの爺は父を騙すことによってひと財産を築き上げたんですよ。
    当然父は破産。母と共に自殺を謀ったけれども、私は死ななかった。
    罪滅ぼしのつもりなんでしょうかね、幼い私を引き取り、メイドとして育て上げた。

夫人 貴方は自分のことを何も話そうとしないじゃない。だから……

メイド なんで自分のことをベラベラと話さなきゃいけないんですかね。
    永年温めてきた計画が水泡に帰すリスクなど、背負いたくもない。

夫人 ……。

メイド 幼いから何も知らないだろうという甘えが、この悲劇を生んだんですよ。
    生い立ちに疑問を持ったその日から、必死に自分のことを調べ、そして知ったんです。
    それからというもの、既に死んでいる爺はどうしようもないにしても、
    貴方たち夫婦をこの手で葬ることだけを生き甲斐にして、準備をしてきたのよ。
    メイドとして違和感なく遅効性の睡眠薬を飲ませる方法や、警察への対応なんかをね。

夫人 こんなことをして、赦されると思っているの!?

メイド 赦し? 何故赦しを請う必要があるの?
    私はこの日のために、すべてを犠牲にしたわ。
    本来は無関係である貴女も計画に含めたのは他でもない。
    何不自由なく育ち、結婚をし、
    この世に不幸なんて存在しないかの如き振る舞いをされるたびに悪寒が走ったものですよ。
    こいつも同罪だ。先に男を殺し、絶望味合わせてから切り刻み、そして行方をくらませる。
    ──それが私の望みなんですよ。

夫人 こんなことをしても、捕まってしまうのは明白だわ!

メイド あーはっはっはっは! そんなに興奮なさらないでくださいよ。
    証拠を残していないというよりは、あのメモは警察の捜査を攪乱させるためのもの。
    そりゃそうよね。あんな商売をしているんだ。あちこちから怨みを買っている。
    そして、差出人の名前はないから警察は虱(しらみ)潰し。
    殺した後にあいつが栞代わりに使っていた紙切れとあの紙を入れ替えて、
    本からわざとはみ出させるように挟んだだけなんて、
    そんなことわかりっこない。
    そして……あんたは、これからここで死ぬ。
    あの時、後を追って死なれるんじゃないかと、冷や冷やしましたよ。
    楽しみが減ってしまうなんて、耐えられない!

夫人 くっ!

メイド いいねぇ。その目。私をゾクゾクさせる目。積年の恨みを晴らすには絶好のスパイスね。

夫人 ──貴方、ときどき驚くほど冷たい目をしていたのは、自分で気づいてた?

メイド 何ですって!?

夫人 私ね、主人に貴方のことを訊いてみたことがあるのよ。
   最初はあまり教えてくれなかったわ。
   でもね、最終的にはすべてを打ち明けてくれたのよ。

メイド ということは。

夫人 ええ、知っていたの。それにね。

メイド なっ! 糸を切った!?

夫人 私が拘束されることは想定済み。
   貴方が館を細工していることに気づいてないとでも思ったの?
   あのコピーを見た瞬間に悟ったわ。
   それにね、主人の姿を見ても貴方は動揺しなかった。
   仕えている主人があんな姿だったのに。

メイド ちっ……

夫人 そしてさっきのメモを見つけたときに、『ああ、今夜なのね』とも。
   だから、サイドテーブルに隠していた糸切狭(いときりばさみ)を手の中に忍ばせていた。

メイド なん…だって……じゃあ。

夫人 演技よ。

メイド 演技……

夫人 この際だから教えてあげるけど、貴女は誤解しているわ。

メイド 何を誤解しているっていうのよ!

夫人 貴方の生い立ち。
   周囲の、主人を陥れようとしている連中が貴女に吹き込んでいることを主人は知っていたわ。
   どうしたらいいのか嘆いてもいた。

メイド 俺が騙されたというの!?

夫人 ええ、残念ながら。
   貴女のご両親は義理の父が原因で自殺なんてしていない。
   むしろ色々と援助していたの。
   それでも、他の悪い人たちに誑(たぶら)かされて、失意の下(もと)に自殺したそうよ。
   幼い貴女を巻き込むのは憚られたのか、娘を義理の父たちに託したのよ。

メイド そんなこと……そんなこと信じられるわけないでしょ!
    あんたが生き残るための方便よ!

夫人 そう思うのは勝手よ。ただね。

メイド ……。

夫人 私は貴女を赦さない。大切な夫を無惨に殺した貴女を。

メイド 何を……。

夫人 貴女、言ったわよね。赦しを請う必要はないって。
   だからね。

メイド ま、待って! その糸は!

夫人M 派手な音が夜の静寂を破った。
    ヴァネサが天井に吊るされたシャンデリアを落とす細工をしていることに気づいていた私は、
    その細工でヴァネサ本人を血祭りにあげる。
    そしてその瞬間、刑事がリビングに踏み込んできた。

刑事 奥さん……

夫人 見られちゃったわね。

刑事 どうしてこんなことを。

夫人 貴方、ダニエルだったかしら。結婚してる?

刑事 え? いえ、自分はまだ……

夫人 そう。だったらわからないかもしれないわね。
   誤解があったとはいえ、大切な人を殺されて復讐しようって思わない人はいないわ。

刑事 ですが、このようなことをすれば貴女は捕らえられ裁かれてしまいます。

夫人 そうね。

刑事 だったら何故……

夫人 でもね、理屈じゃないの。人は感情をもった生き物。
   どれだけ法で律しようとも、心を殺すことはできないわ。

刑事 ……。

夫人 自分で出頭します。後のこと、宜しく。

刑事M そう言って、夫人は警察署の方へと向かっていった。
    その顔は、旦那が殺された時とはうってかわって、晴れやかだった。
    目の前には、あの時よりも凄惨な死体が転がっているにもかかわらず。
    復讐は復讐しか生まない。
    それを未然に防ぐ手立ては、本当にあるのだろうか……​

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